Russia

ロシアのピアノ曲

 近年、ロシアの、特に2017年のロシア革命以前に作られたロマンティックなピアノ曲が次々に録音され、世に出ていることはとても良いことだと思います。

 グリンカ、五人組(バラキレフ、ムソルグスキー、キュイ、リムスキー・コルサコフ、ボロディン)らが作ったピアノ曲の中で、これまで《展覧会の絵》(ムソルグスキー)のような有名作以外はなかなか聴けなかったのですが、いま、そうではなくなりました。

 バラキレフ  Mily Alekseyevich Balakirev(1837-1910)は、いきなり超絶技巧を要する曲として有名な《イスラメイ》(楽譜つき)を聴くより、《トッカータ》が良いのではないでしょうか。

 ボロディン《ダッタン人の踊り》(初級から上級までいくつもあるピアノ編曲版の一つです。)

 チャイコフスキー  Peter Ilyichi Tchaikovsky(1840ー1893)なら《四季》や《ドゥムカ》

    チャイコフスキーの陰に隠れて、これまであまり注目されていなかった作曲家にリャードフとアレンスキーがいます。リャードフ  Anatol Liadov(1855ー1914)は《舟歌》を初めとする、繊細で心の洗われるような作品を作りました。

        Tatiana Nikolaeva plays Liadov Barcarolle in F sharp major, Op. 44 - Bing video

       Liadov《Op.24 No.2 Berceuse》

    アレンスキー  Anton Stepanovich Arensky(1861ー1906)の抒情詩人としての本領は、2台のピアノのための組曲のほかにも、多くのピアノ独奏曲で発揮されています。

    《Suite No.1 for two pianos  Op.15 》(楽譜つき) 《Children's Suite for two pianos Op.65》 

    《Suite No.4 for two pianos  Op.62》

      Sergey Koudriakov / A.S. Arensky - Etude in G-Flat Op. 25 No. 3 "Chinese" - YouTube ←中国民謡《茉莉花》(まつりか)が挿入されています。

       Anton Arensky - 6 Pièces, Op. 53 - YouTube      

       Tatiana Nikolayeva plays Lyadov and Arensky 冒頭の曲がリャードフの《ポーランド民謡の主題によるヴァリエーション Op.51》です。   

 メトネル  Nikolai Kariovich Medtner(1880ー1951)の《ピアノソナタ ト短調 Op.22》は、私はエミール・ギレリスの演奏(録音)を聴いて新鮮な衝撃を受けたものです。

    Medtner - Piano sonata in g op.22 - Gilels studio - Bing video

 イギリスのピアニスト  Stephen Coomsが hyperion からロシアの作品を次々にリリースしています。リャードフ、アレンスキー、グラズノフ、初期のスクリャービン、ボルトキエヴィッツなど。 

 スクリャービン  Alexander Nikolaevich Scriabin(1872ー1915)は、ソ連を除いて、死後長らく忘れられていましたが、1970年前後あたりから復権しはじめ、今では世界の多くのピアニストのレパートリーに入るようになりました(右はホロヴィッツのCDのジャケット)。

 まず彼の初期と中期の、夢と憧れに満ちた作品群、ピアノソナタ第2番から第5番まで、さらに《ファンタジー Op.28》《エチュードOp.8》《エチュードOp.42》などがもっともっと親しまれてゆくことを願っています。

 《ワルツ Op.1》         

 《2つのアンプロンプチュ Op.12》 ← 激烈なメロディーです。

  

 《ピアノソナタ第2番 Op.19》は2楽章から成り、スクリャービンはそれぞれについて「南国の海辺の夜の静けさ、深い深い海の暗い動揺、宵闇の後に現れる愛撫するような月の光」、「嵐に波立つ海の広大なひろがり」と形容しています(春秋社版「スクリャービン全集1」の解説)。なぜ楽園を描いたような第1楽章のあとに嵐の海が来るのでしょう、私はその答えをエドガー・アラン・ポオの「F―に」という詩に見出しました。

 

  いとしい人よ! 私の地上の行路にむらがり   ひしひしと迫ってくる苦難のただ中で、

  (ああ! 一本の淋しい薔薇さえ生えていない 荒れはてた その小径)

    私の魂はあなたを夢見て 何はあれ慰めを汲むのです。

  のどやかな憩いの地、エデンの園がそこにあるのを感じながら

 

  だからこそ あなたの想い出は 私には浪さわぐ海の 沖に浮かぶ魔法の島かと思えます

  ――嵐にさかまい はてしもしらず奔騰する大海原――だがしかし あそこ

  あの輝かしい一つの島の上でだけは  この上もなく腫れた空が ほほえみつづけているのです。

   (嵐の海を通らなければ楽園に到達することは出来ないのです。入沢康夫訳 創元推理文庫「ポオ 詩と詩論」より)

 

   《ピアノソナタ第3番 Op.23》の第1楽章にスクリャービンがつけた標題は、「情熱的に悲惨と苦闘の淵にとび込んでいく自由で粗野な魂」であり、これが展開して第4楽章では「いまや自然力は解き放たれる。その大渦巻のなかで、魂はもだえる。突然に、神人の声が、魂の深みからたちのぼってくる」となります。

                             (春秋社版「スクリャービン全集1」の解説)

    皆さんに特に聴いて頂きたいのは《ピアノソナタ第4番 Op.30》、これは自由な世界に飛翔することの呼びかけであり、まるで鷲が空をかけめぐっているかのような驚くべき作品です。(スタニスラフ・ネイガイウスのレコードにスクリャービンが「遠い星への飛行」と名づけたと書いてありましたが、今のところ典拠不明)。

 しかし、スクリャービンは神秘主義に傾倒したため、その音楽生活の後期において、これが同じ人の作品かと思ってしまうほど作風が変わってしまいます。それらは調性を抜け出し、20世紀音楽を切り開いていく勇敢な試みではありますが、そこに表わされた精神が問題で、私は彼が間違った歩みをしたのではないかという思いを禁じえません。

    《焔に向かって Op,72》 ← ホロヴィッツの演奏。

 その思いは、ネムティンという人がスクリャービンのピアノ曲をオーケストラ作品にまとめた《ニュアンス》や、スクリャービンの遺志を継承して完成されたというオーケストラ作品《神秘劇》を聴いたことでますます強まりました。これらは聴く者をどこに連れて行こうとしているのでしょうか。(「scriabin、nemtin」で検索できます。これらは音楽の麻薬としか言いようがありません。)

 少年の頃、スクリャービンと親交があり、第3ソナタから第5ソナタまでの中期のスクリャービンの音楽を生命の糧(かて)のようにして生きたという文学者パステルナークは、「『プロメテウス』など、彼の後期の作品にみるハーモニーの閃光は魂のための日々の糧ではなく、むしろ彼の天才の証明にすぎないとわたしには思われる」(パステルナーク自伝)と書きましたが、このような見方も大切であると思います。

 

 かつてソ連のピアニストが演奏したスクリャービンの前奏曲集10数曲をラジオで聞いたことがあるのですが、Op.67-1Op67-2と弾いたあと、最後にOp37-3Op.37-2をつなげて演奏し、鮮烈な印象を受けました。ピアニストの方、よろしかったら試してみて下さい。

 

 なおソ連映画  「シベリヤ物語」(1947年)は、戦争で負傷してピアニストとしての道を断念してシベリアに向かった青年が、素朴な開拓民との出会いの中で再起し、作曲家として復権するまでを描いた感動作で、ユーチューブで鑑賞できます。そこにスクリャービンの《前奏曲 Op.11-5》が6分37秒から、また第4ソナタの冒頭部分の一部が21分47秒から挿入されています。

 ロシア革命(1917年)が起きた動乱の時代に花開き、スターリンによって息の根を止められたロシア・アヴァンギャルドにおいてピアノ音楽が残した足跡を簡潔に見ておきましょう。

 ロスラヴェッツ   Nikolai Andreevich Roslavets(1881ー1944)は、後期スクリャービンの音楽に深く影響された前衛的な作品を探求しましたが、スクリャービンの神秘主義とは無縁でした。かつて「ロシアのシェーンベルク」と呼ばれたこともあったのですが、今日ではその作風を十二音技法と見なすのは適当でないとするのが一般的になっています。1930年代以降、社会主義リアリズムに向かうソ連音楽界において迫害されて沈黙を強いられ、1944年、モスクワで貧窮のうちに世を去りました。彼の音楽が復権するのは1980年代以降です。ピアノ曲、ヴァイオリン曲、歌曲、管弦楽曲など多数が発掘されています。私は、彼のそうした作品は今から50年くらいしたら名作としての評価が確立されているかもしれないと思うものの、今の時代においてはかなり難解だと感じています。

       《3つのエチュード《ピアノソナタ第1番》(楽譜つき)、《5つの前奏曲》(楽譜つき)

 モソロフ  Alexander Vasilyevich Mosolov(1900~1973)は1920年代のソ連音楽界を先導した作曲家。「機械のリズムを新時代の歌と認め、騒音も音楽に用いよと宣言、新しい技術から生まれた現象をすべて表現し、芸術と生活を近づけるいわゆる『構成主義』などの第一人者となった」(伊藤恵子「革命と音楽 ロシア・ソヴィエト音楽文化史」87ページ)。《交響的エピソード「鉄工場」》(1928)は演奏時間3分の小品ながらはなはだ有名で、モソロフの代表作とされています。ピアノ曲もこのような音楽観から作曲されました。CD  Aleksandr Mosolov Complete Piano Music

 モソロフはロスラヴェッツと共に1920年代のソ連音楽界を先導しましたが、社会主義リアリズムの路線に従うことが出来ず弾圧されます。1937年に逮捕され、8年にわたる

運河での強制労働を強いられてしまいます。

 強制労働から解放された後、モソロフの作風は一変し、社会主義リアリズムに沿うものとなりました。これを芸術的良心を投げ捨て共産党に妥協した転向とみる見方があると思います。ただ《チェロ協奏曲》(1946)、《組曲 兵士の歌》(?)等を聴いてみると、個人的には、かつての前衛的な作品よりずっとわかりやすく、心に響いてくるものを感じます。なお、この時期にはピアノ曲はないようです。国家が芸術を統制し創作の自由を奪ってしまおうとするのは完全に間違っていますが、モソロフの場合その結果なのでしょうか、親しみやすい名曲が生まれたようで、これをどう考えたら良いのかという課題が残されています。

 フェインベルク  Sammil Evgenievitch Feinberg(1890ー1962)はバッハ演奏の大家です。ソ連の中で隠れて

作曲したようですが、12曲のピアノソナタから判断する限り、作風は明らかに後期スクリャービンの影響を示しています。演奏は超絶技巧を要し、聴くのにも頭を使います。あふれるほどの豊富な内容があって、今の私には十分に受けとめることが出来ないままでいます。

      CD Feinberug Complete Piano Sonatas

 スクリャービンの神秘主義の正統な後継者は、オブーホフ  Nikokai Borisov Obukhov(1892—1954)かもしれません。彼は1917年のロシア革命後、フランスに亡命して作曲を続けました。ただ彼の作品はあまりにも難解で私にはお手上げです。 《啓示》   

 ロシア・アバンギャルドとは一線を画した方向を進んでいった作曲家をあげてみましょう。ラフマニノフ  Sergei Vasil'evich Rachmaninov(1873ー1943)の《エチュード Op.39-1》には1917年のロシア革命の影が刻印されています。彼はロシア革命による混乱を避けて1918年にアメリカに亡命、故国に帰ってくることはついにありませんでした。    

 ラフマニノフのいくつかの作品はポピュラーな人気を獲得しています。よく保守的な作風を言われますが、聴いてみるとけっこう難しい曲も多くあり、日本ではまだまだ理解されていないような感じがしています。

  《楽興の時 第3番》 ←ホロヴィッツ(p)《楽興の時 第4番》 ← ベルマン(p¥)

  《楽興の時 第6番》 ←ラフマニノフ(p)

        Yuja Wang - Rachmaninov: Etudes Tableaux Op. 39, No. 1 in C-Minor (Live at Philharmonie, Berlin) - Bing video   

 プロコフィエフ  Sergei  Sergeyevich Prokofiev(1891ー1953)はロシア革命後の1918年にアメリカに亡命し、1936年にソ連に帰国しました。ロシアアヴァンギャルドの影響も受けているようです。自分の志す前衛的な音楽と、特にソ連帰国以降、ソ連当局から要請される社会主義リアリズムの間で、葛藤を抱えながら進んでいったように思われます。9つのピアノソナタを順に聴くたびに新しい発見があります。特に戦争ソナタと呼ばれるピアノソナタ第6番から9番までは、第二次世界大戦でナチスドイツとたたかうソ連国民を励ました貴重な作品で、中でも《ピアノソナタ第8番 Op.84》は戦争の悲惨と人間の尊厳を歌いあげた名作です。プロコフィエフの作品は運動性と鋭い響きだけでなく、叙情性においても際立っています。

                             Prokofiev's Sonata No. 8 - Sviatoslav Richter (1946 rec.) - YouTube

 ショスタコーヴィチ  Dmitry  Dmitriyevich Shostakovich(1906ー1975)については、あらためて紹介する必要はないかと思いますが、《プレリュードとフーガ》はロシア民謡風の旋律を用いつつ、深い思索に富んだ作品になっています。

        Richter plays Shostakovich Prelude and fugue No.14 & 17 (Budapest, 1963) - Bing video

 ショスタコーヴィチ《ワルツ第2番》←Tarek Refaatによる編曲と演奏(楽譜情報つき)。過酷な開拓地で力強く生き抜く若者たちを描いた映画「第一軍用列車(The first echelon、1955年)」のために作曲されたもの。ネットの解説の中に「退廃的で哀愁を帯びたメロディ」と書いている人がいましたが、とんでもない!

  《抒情的ワルツ》

 

  社会主義リアリズムの立場に立って音楽界に君臨し、独裁者と言われることが多いフレンニコフ  Tikhon Khrennikov(1913ー2007)のピアノ協奏曲1番から3番を聴いてみました(CD KAP009 Khrennikov)。さぞ保守的な作品だろうと想像していたのですが、どうしてどうして革新的な響きで驚きました。エネルギーがほとばしっていますが、一方、押しつけがましいものも感じています。

        Tikhon Khrennikov plays Khrennikov Piano Concerto no. 2 - video 1981 - Bing video

  ラコフ  Nikolai Petrovich Rakov(1908ー1990)の《ピアノソナタ第2番》(楽譜つき)。 

 スヴィリドフ  Georgi Sviridov(1915ー1998)の《ピアノソナタ》は、ほとんど知られていませんが、鋼鉄のような響きが新鮮で、私は名作だと思っています。IMSLP Free Sheet Music に楽譜があります。

   Georgy Sviridov - Piano Sonata (1944) - YouTube

 

  ウラディーミル・ヴァヴィロフ   Vladimir Vivalov(1925ー1973)という無名の作曲家が、イタリアのバロック音楽の作曲家の名前を語って作曲したと思われる歌曲《カッチーニのアヴェ・マリア》、1990年代前半までほとんど知られなかったのが、その後一挙に世界に広まり、今では三大アヴェ・マリアの一つとして世界的に演奏され、歌、チェロ、ピアノなど多彩なバージョンの映像を鑑賞することができます。日本人が編曲したピアノ版をとりあえずロシアのピアノ曲に入れておきました。2つ紹介します。《カッチーニのアヴェ・マリア 小原孝ピアノ編曲版》《カッチーニのアヴェ・マリア 加羽沢美濃ピアノ編曲版》

 

 CD「ロシア&ソヴィエトの作曲家によるピアノ音楽アンソロジー」の発売が始まっています。全30巻の予定で現在、8巻まで出ていますが、全部出せるのかどうか? 

 ロシア民謡を編曲した作品をいくつかあげておきましょう。楽譜探索中。

     アムール河のさざなみ: ADRIAN BORDEIANU- Amur waves / Амурские волны - M Kuess - Bing video

  カチューシャ: Katyusha- Катюша ... Prof. Adrian Bordeianu - Bing video

  小麦色の娘:  Prof. Adrian Bordeianu - SMUGLIANKA MOLDOVANKA / Смуглянка-Молдаванка - Bing video 

     満州の丘に立ちて: 

   ADRIAN BORDEIANU -На Сопках Маньчжурии- I. Shatrov / Pe Platoul Manciuriei / On the Manchurian Hills - Bing video

 多民族国家ロシアの中には、ニブヒ(ギリヤーク)、ウィルタ(オロッコ)、エヴェンキ、サハなど多くの北方民族が生活しています。彼らの口琴による音楽が知られていますが、こうしたものをピアノ音楽にすることが

出来るのかどうかは未知数です。

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