賀緑汀 がりょくてい He Liuting(1903ー1999)
作曲家。湖南省で生まれる。早くから革命運動に身を投じ、1926年に中国共産党に加入。
1934年、アレクサンドル・チェレプニンが主催した「中国風のピアノ作品コンクール」で、彼の作品《牧童短笛》(笛を吹く牧童)が優勝、《揺籃曲》が二等に入賞した。《牧童短笛》は5音音階に基づく、田園詩のような作品。これらの作品によって、ピアノを用いて中国の音楽を創るという大きな課題の、解決への突破口が開かれたといえよう。
1937年に作曲された歌曲《遊撃戦歌》は八路軍を中心に広く歌われた。この曲は、のちに汪立三がピアノ曲《叙事曲(遊撃隊歌)》に編曲した。→汪立三
新中国成立後、長く上海音楽学院の院長を勤めた。生涯に5つのピアノ曲、7つの管弦楽曲、26の映画音楽(十字街頭など)、200を超える各種声楽作品を作曲した。
《牧童短笛》の楽譜はあらゆる中国ピアノ曲の楽譜集に収録されているといっても過言でないほど。「賀緑汀
鋼琴曲集」(人民音楽出版社、1956年、その後たびたび再販)には上記の2曲の他に《懐念》《小曲》《晩会》の楽譜が収録されている。
賀緑汀《牧童短笛》と《揺籃曲》 ←p:丁善徳
賀緑汀《牧童短笛》← ラン・ランの演奏。斬新な解釈でびっくり。
江文也 こうぶんや Jiang Wenye、あるいはChiang Wen-Yeh
(1910ー1983)
(写真は「江文也鋼琴作品集」の表紙にあったものです。)
日本占領下にあった台湾の台北市で生まれる。1923年日本に行 き、上野音楽学校で山田耕筰について作曲を学ぶ。1936年の管弦楽曲《台湾舞曲》でベルリン・オリンピック芸術競技音楽部門で銀賞。その当時、声楽曲《台湾山地同胞歌》、ピアノ曲《バガテル 作品8》等も発表、戦前・戦中における「日本を代表する作曲家」として華々しい活躍をした。CD「江文也:日本時代のピアノ作品集」(キング KKCC-4339)を聞いてもわかるように、彼の音楽は中国大陸、台湾、日本の民族音楽 と、ヨーロッパの印象派から12音音楽までの現代音楽を結びつけた、その時代におけるアジアの最先端を行く、たいへん現代的なものであった。
1938年、彼は大陸に渡り、1949年の中国革命以降、北京の中央音楽学院で作曲を教えた。ピアノ曲《郷土節令詩》、《ピアノソナタ》、ヴァイオリン曲、管弦楽曲、交響曲など多数の作品があるが、これ らは日本時代の作品とは明らかに異なり、ヨーロッパの影響を断ち切 り、中国の5声音階に根ざした民族主義的な作品になっている。
1957年からの反右派闘争でも66年からの文化大革命でも批判され、楽譜を焼かれるなどしたらしい。辛酸をなめた末に83年に死去。
江文也について「日本の作曲家」と見る見方、「共産党の犠牲になった台湾の作曲家」、あるいは「中国の誇るべき作曲家」というように相反した見方が存在する。彼が大陸で受けた迫害をよしとする人はいないが、以前のような最先端の音楽を作らなくなった、あるいは作れなくなったことを芸術にとって悲劇と見るか、そ れ以降の作品の方が親しみやすくて良くなったと見るか、……こういった問題の答えは今後、彼の作品を一つ一つ掘り起こして聴くうちに明らかになるだろう。
「まぼろしの五線譜 江文也という『日本人』」(井田敏著、白水社 1999)という本がある。井田氏が日本にいる江文也の遺族を取材して書いたものだが、出来あがったあと、その遺族が内容に抗議して市販することが
差し止められた。大きな図書館にはあるはず。その後、2022年になって「音楽と戦争のロンド 台湾・日本・中国のはざまで奮闘した音楽家・江文也の生涯」(劉美蓮著、集広舎)が出版された。未読だが面白そう。
《台湾舞曲》(作品1、1934年。自動演奏ですが。楽譜つき)
《五月の組曲》 (1935年。1.豫感、2.灯火にて、3.野邊にて、から成る。楽譜つき)
《郷土節令詩 1、7、8、9、10、12》 Op.53、1950年。 全12曲から6曲を抜粋。2曲目の《七夕銀河》が面白い。楽譜つき
〔江文也の作品のCD〕
1. 「Peking Myriorama」 Piano:Chai-Hsio Tsai、Thorofon CTH2023
2. 「江文也鋼琴小品集」 ← 1.と同内容だと思います。
3. 「江文也:日本時代のピアノ作品集」 ピアノ:ジューイン・ソンキング KKCC-4339
4. 「山泉 中国大師級鋼琴名品精選」 中国唱片深圳公司 CCD-1465)
この中に《郷土節令詩選曲》(ピアノ:崔世光)が収録されている。
〔江文也の作品の楽譜〕
「江文也鋼琴作品集」上、下 中央音楽学院出版社(北京) 2005
・日本時代の前衛的な作品から中国での作品まで網羅されています。
丁善徳 ていぜんとく Ding Shande (1911ー1995)
作曲家兼ピアニスト。ロシア人サハロフにピアノを習う、1935年、上海国立音楽院ピアノ系卒業。同年5月11日、上海でのソロコンサートでベートーベン《月光》、ドビューッシー《アラベスク》、ショパン《英雄ポロネーズ》、賀緑汀《牧童短笛》、リスト《ハンガリー狂詩曲第6番》などを演奏した。これは中国人ピアニストによる史上初のピアノコンサートである。
1947年から1949にかけてパリ音楽院で作曲を学び、帰国後、上海音楽学院の教授となった。
彼はヨーロッパの作曲技法と中国の民族音楽の結合をめざした先駆者であった。《交響曲「長征」》(1962)は歴史的出来事に題材をとった記念碑的傑作(ユーチューブにあり)。ピアノ曲で、《春之旅組曲 Op.1》(1945)、《第一新疆舞曲 Op.6》(1950)、《児童組曲
Op.9》(1953)などは、現在まで繰り返し演奏される中国のピアノ曲の古典的作品。
《児童組曲》全5曲はCD「Chinese Piano Favourites(中國鋼琴名曲集)、piano:Jie Chen(陳潔)、NAXOS8.570602」などに収録されている。
文革時代は厳しい迫害を受けた。1980年代からのピアノ曲では作風の変化が著しい。「調性の音階と無調性の因素の結合を基礎に一定の伝統を保持、また新しい音響組織と色彩が変化する独創的ピアノ曲」(卞萌「中国鋼琴文化之形成与発展」、華楽出版社、1996年、123ページ)とされる。石田一志氏も「モダニズム変奏曲」(朔北社、2005、256ページ)にも「後期のピアノ曲、とくに《前奏曲六首 Op.34》などはスクリャービン風の語法探求の跡がある」と書かれているが、それらが何を目指しているのか、私には今ひとつ見えて来ない。
CD「丁善徳鋼琴作品選、ピアノ:張薇聰ほか、HUGO HRP 736-2」←後期の作品を収録したもの。
eClassical - Ding: Piano Music ←CD情報
<丁善徳のピアノ曲リスト> ‥‥リンクしたのは上記の曲とは別の演奏者による演奏です。
春之旅組曲 Op.1(待曙/舟中/楊柳岸/暁風之舞)/E大調鋼琴奏鳴曲 Op.2/序曲三首 Op.3/中国民歌主題変奏曲 Op,4/第一新彊組曲 Op.6/児童組曲 Op.9(郊外去/樸蝴蝶/捉迷蔵/節日舞)/第二新彊舞曲 Op.11/托卡他
(トッカータ)Op,13/降B大調鋼琴協奏曲 Op.23 1、2、3(2台のピアノ版もあり)/児童鋼琴曲8首 Op.28(疑問/遊戯/晩上的歌/鋩鑼与象脚鼓/担憂/馬幫來了/晨曲/花龍舞)/小序曲与賦格四首 Op.29(思索・喜悦/憂愁・歓楽/雀躍・追遂/激動・歓舞)/鋼琴簡易練習曲十六首 Op.31/小奏鳴曲 Op,32/廻旋曲 Op.33/前奏曲六首
Op.34/諧謔曲 Op.35
<丁善徳のピアノ曲の楽譜>
丁善徳鋼琴曲集:上海文芸出版社 1958年初版・1978年再販 Op.1、3、4、6、9、11
丁善徳鋼琴小品集:上海翻訳出版公司発行 1989年(上海音楽学院現代音楽学会創作叢書)Op.28、29、31、32
《児童組曲》Op.9は 「中国鋼琴名曲30首」(人民音楽出版社 1996)など多くの楽譜集に収録されている。
江定仙 こうていせん Jiang Dingxian(1912ー2000)
作曲家。湖北省武漢の出身。1960年に中央音楽学院に務め、61年には副院長となる。独唱曲、合唱曲、ピアノ曲、交響詩及び交響曲、映画音楽の作曲を行った。
《揺籃曲》1934年。「中国風のピアノ作品コンクール」で賀緑汀の《牧童短笛》に
次いで2位になった作品。
陳培勲(陳培勛) ちんばいくん Chen peixun (1921ー2006)
(写真は「陳培勲鋼琴作品選集」に掲載されていたものです。)
作曲家。イギリス占領下の香港で生まれる。キリスト教徒の家庭に育ち、教会で聖歌隊に加わるなどして、ヨーロッパのキリスト教文化の薫陶を受けた。幼い時から叔父を通してピアノを学ぶ。1939年、上海の国立音楽専科学校に入学し、李惟寧に作曲を習った。1941年、香港に帰り、愛国的な歌を広める運動に身を投じる。1941年、香港が日本に占領され、広東省立芸術専科学校で音楽を教えるようになった。戦争終結後、上海に行き、譚小麟教授のもとヒンデミットの作曲体系と技巧を学んだことが、それ以降の彼の音楽創作に重要な意義を持つことになった。1949年、北京に向かい、まもなく中華人民共和国が成立すると中国音楽学院の教員となり1981年まで勤めた。
1952年から1954年にかけて書かれた《広東音楽主題鋼琴曲四首》は陳培勲の音楽創作にとって大きな収穫であった。《売雑貨》(商人)、《思春》、《旱天雷》(日照り続きの天気に雷)、《”双飛蝴蝶”主題変奏曲》(並んで飛ぶ蝶)はすべて広東地方の音楽をピアノ用に編曲したものである。
1960年代、陳培勲は管弦楽の創作に励んだ。1966年に文化大革命が始まると他の知識人同様、音楽創作の権利を奪われたが、1973年になって再び創作を再開、同年に《ピアノ協奏曲「国際歌」》を作曲、国際歌とは<インターナショナル>のことで、これは文革という状況下でのプロパガンダ音楽的作品だったらしい。1975年にピアノ用に編曲した《平湖秋月》は優美で典雅な作品で、今日まで繰り返し演奏されている。(《平湖秋月》はもともと呂文成が1920年代末、浙江省の西湖を訪れてそこから感興を得て創作した民族器楽曲で、陳培勲はこれをピアノのさまざまな技巧を取り入れて編曲した。今では陳培勲の代表作とされている。)
文革が終わったあとの1977年に発表された《流水》は、陳培勲が古琴の同名の曲を素材に創作したもので演奏時間13分ほどの作品。「雄渾に流れ来る水と共に労働人民が大自然と闘う頑強な精神をたたえ、風と波が収まったあとの平安が漁民の歌声に回帰し、大自然を背景に終わる」(CD「鮑蕙蕎鋼琴独奏」中国唱片総公司、CCD-95/505 付録の解説文より)。
陳培勲は1981年に香港に帰り、それ以降も交響曲、器楽曲などを多数創作した。2006年に死去。
ピアノ曲の数は決して多くないが、中国ピアノ界に残した足跡は大きい。
ここに紹介した6曲の楽譜は「陳培勲鋼琴作品選集」(人民音楽出版社、2002年)にすべて収録されている。
周広仁 しゅうこうじん Zhou Guangren (1928ー )
ドイツで生まれる。1940年代、上海において音楽の勉強を始める。丁善徳、
Mario Paci、Alfred Marcus、Aram Tatulianに師事。
1950年代、中央歌舞団と中央楽団のピアニストであった。1951年、第3回世界青年フェスティバルのピアノコンクールで3位入賞。これは中国人ピアニストとしては初めての国際的なピアノコンクールでの入賞だった。文革中は辛酸をなめた。2001年現在、北京の中央音楽学院教授。中国のピアノ教育における指導的存在で、弟子に門下生を次々国際コンクールに入賞させた但昭義がいる。
周広仁が編曲したピアノ曲に《小紅軍》(1958) 、《陝北民歌主題変奏曲》(1976)、《台湾同胞我的骨肉兄弟》(1976)がある。顧聖嬰の親友でその顕彰に努めた。
CD「中国鋼琴家周広仁」(ピアノ:周広仁、河南音像出版社 ISRC CN-F42-95-316-00/A/J6)(写真)がある。
「zhou guangren」の検索結果 - Yahoo!検索(動画) 周広仁の教則映像(ツェルニー、中国語)
黄虎威 こうこい Huang Huwei(1932ー2019)
1958年の作品。組曲。1. 晨歌(朝)、2. 空谷回声(谷間のこだま)、
3. 抒情小調(抒情歌)、4. 弦子舞(三弦の踊り)、5. 蓉城春郊(蓉城の
春)、6. 阿覇夜会(阿覇の夜会)から成る。地味だが味わい深い作品。
王建中 おうけんちゅう Wang Jianzhong(1933ー2016)
上海で生まれる。上海の音楽学校で学ぶ。1958年に作曲された《雲南民歌五首》はよく知られている。《トッカータ》(1966)は自由奔放な境地を描いていて、多くのピアニストに弾いてもらいたい傑作。
文化大革命の開始以降も、《瀏陽歌》(1972)、《大路歌》(1972)、《陕北民歌四首(①山丹丹開花紅艶艶(レッド・リリーが深紅に咲いて輝いて)②軍民大生産 ③绣金匾(金色の壁飾り)④翻身道情)》(1973、楽譜つき)、《百鳥朝風》(1973)、《梅花三弄》(1973、楽譜つき)、《彩雲追月》(1975)、《蝶恋花》(1976)等の作品を、精力的に産み出した。
王建中のこれらの作品は、民歌や革命歌曲をピアノ曲に編曲したものが多い。毛沢東時代の中国共産党の音楽政策に沿った作品であることは間違いないが、現在も盛んに演奏されているところから、時代を超えた普遍性があるように思われる。何より作品を貫く昂揚感が素晴らしい。
1980年代から上海音楽学院で働き、副院長になった。
文革終息後の作品、《小奏鳴曲》(1981)《諧謔曲》(1985)、《組曲》(1994)、《情景》(1994)を楽譜から弾いてみたところ、12音技法を追求しているように思われた。時代が変わって、政府の統制を気にせず、自分が本当にやりたいことを自由に追求し、発表できるようになったのだとしたら、そのこと自体は喜ばしいのだが、私にはこれらの作品がまるで理解できない。彼の文革以前の作品とそれ以降の作品をつなぐ糸はいったい何なのだろう。
〔王建中の作品の楽譜〕 「王建中鋼琴作品集」 上海音楽出版社 1995
汪立三 おうりつさん Wang Lisan(1933~2013)
武漢で生まれる。1957年上海音楽学院作曲系を卒業。丁善徳、桑桐、アルザモニフの教えを受ける。1957年、「右派」とされ、東北の北大荒を開墾する労働に従事させられた。1963年、音楽教員として復帰。
ハルピン師範大学芸術学院院長を勤めた。また中国音楽家協会理事として、中国現代音楽の指導的存在であった。
汪立三の作品には、彼の強烈な個性と独特の中国美学が反映している。ピアノ曲として《蘭花花》(1953、楽譜つき)、《小奏鳴曲(ソナチネ)》(1957、楽譜つき)、《兄妹開荒》(1977)、《叙事曲(遊撃隊歌)》(1977、楽譜つき)、組曲《東山魁夷画意》(1979)、《他山集》(1980、楽譜つき)、《夢天》(1980)などがある。
この中で《兄妹開荒》は1940年代の解放区で生まれた民衆舞踏の音楽を編曲したもので、兄と妹が荒れ地を開墾する物語を、不協和音を交えつつピアノで描いている。農業労働をピアノで描いたもので、しかも現代的で洗練されており、ぜひ多くの人に聴いて頂きたい。楽譜は「中国鋼琴名曲30首」(魏廷格編注、人民音楽出版社、1996)に収録。
組曲《東山魁夷画意》(楽譜つき)は、汪立三が日本の東山魁夷画伯の作品からインスピレーションを得て作ったもので日本の音階を用いて作られている。その第4曲《涛声》は、嵐の海の中を不撓不屈の意志をもって日本に渡ってきた鑑真の精神を表現した作品で、日本人にとって必聴の作品だと思う。
汪立三《涛声》 ← p:牛田智大
《涛声》はCD「Chinese Piano Favourites 中国鋼琴名曲集」(piano:Jie Chen(陳潔)、NAXOS8.570602)にも収録、入手しやすい。全4曲の楽譜は「中国鋼琴作品選(四)、人民音楽出版社、2001」等に収録されている。
CD「Wang Lisan Complete Piano Works」(piano:Yiming Zhao)
傅聡 フー・ツォン Fou Tsong (1934ー2020)
ピアニスト。上海生まれ。Mario
Paciに教えを受ける。1951年に上海交響楽団とともにベートベンの「皇帝」を弾いてデビューする。1955年、ショパン・コンクール第3位入賞。このコンクールでの東洋人の上位入賞は史上初めてのことでセンセーションを巻き起こした。
その後、ワルシャワ音楽院に学ぶ。1958年亡命、ロンドンに本拠地を移し、やがて世
界的なピアニストになっていった。特にショパンとモーツァルトの演奏については定評がある。しかし、文化大革命の時期、作家、翻訳家として著名だった父・傳雷と母・朱梅馥は紅衛兵の批判の嵐を浴びて自殺に追いこまれてしまった。
フー・ツォンが故国に戻ることが出来たのが1979年、そして1982年には演奏会も開いた。それ以来、彼は全
世界での演奏活動のかたわら、定期的に中国に帰って後進の指導に当たってきた。
「フー・ツォンのショパン、それは一つの奇跡」とはヘルマン・ヘッセの言葉である。フー・ツォンの発表したCDの中でも特に1977年に録音されたショパンの夜想曲全集は、思いのたけを語りつくした名盤として、音楽史上に永遠に残るにちがいない。ユーチューブに動画多数あり。演奏現在も多数のCDがを購入可能。
珍しいところでは香港のHUGO(雨果)から出たドビュッシーの前奏曲と練習曲の全集がある。
(HRP796-2&HRP797-2 、2CD一組)。
2020年12月28日、新型コロナウィルスに感染して惜しくも死去。享年86歳。
ショパン《ピアノソナタ第2番 1、2、3、4》《3つの新しいエチュード》
桑洞《内蒙古民歌主題小曲七首》から《悼歌》
参考文献:「君よ弦外の音を聴け」(傳雷著、傳敏編、榎本泰子訳、樹花舎、2004年、2310円、傳雷
から傳聡への手紙が収録されている)。
:「傳雷与傳聡」(中国語)(葉永烈著、作家出版社、1995年)
:「与傳聡談音楽」(中国語)(三聯書店、1984年)
:「望郷のマズルカ 激動の中国現代史を生きたピアニスト フー・ツォン」
(森岡 葉著、CDつき、ショパン発行、2007年)
倪洪進 げいこうしん Ni Hongjin (1935ー )
上海音楽学院を経て、1959年モスクワ音楽院を卒業。帰国後、中央音楽学院、解放軍芸術学院、中国音楽学 院で教鞭をとった。長期にわたるピアノ教師としての活動の一方で、 ソ連、ポーランド、アメリカ、 日本、ハンガリー及び中国各地で演奏会を開いた。
またピアノ曲の作曲家でもあり、《練習曲4首》(楽譜つき)、《壮郷組曲》、《円明園漫歩》、《幻想曲》を発表・ 演奏した。彼女の作品には、中国の作品にありがちな「政治に奉仕する」姿勢はほとんど見出せない。中国における民族音楽の、ピアノによる、おそらく最高に洗練された芸術表現だと言えるだろう。
《壮郷組曲》(1979、楽譜つき):広西壮(チュアン)族自治区の自然や人情を描いた作品。
1) 船従遠方来(船は遠方から来る)、2) 歌墟(←男女の歌のかけあい)、3)揺籃曲(子守唄)、4)酒歌
の4つの曲から成る。
《円明園慢歩》(1982、楽譜つき):円明園は北京にある清代に造られた離宮。1856年、イギリスとフランス
の連合軍によって徹底的に破壊され、廃墟となったものが今残されている。この破壊された、民族の宝に思
いを寄せて作られた作品。
1) 晨思行、2) 雨中行、3) 春夜行、4) 蕭瑟行、5) 信歩吟、の5つの曲から成る。第1~3曲で深い悲しみ
が、第4曲で民族の誇りを取り戻す決意が歌われる。私はそこで終わりにしておけば良かったのにと思った
が。第5曲は諦念の思いが色濃いのでどうかと思います。あきらめて終わってはいかんでしょう。
《幻想曲》(楽譜つき):1) 幻想曲ー托卡他(トッカータ)、2) 聼評弾(評弾を聴く)、3) 銀錠橋、4) 古殿秋
粛、の5つの曲から成る。
彼女が自作・自演したCD「幻想曲-鋼琴作品選」(中国唱片総公司 CCD-95/535)(写真)があるが入手困難。《壮郷組曲》の中の《揺籃曲》はピアノ学習者のための課題曲になったりして、よく演奏される。
楽譜は「倪洪進鋼琴作品選」(上海音楽出版社、2010)を入手できる。
李名強 りめいきょう Li Mingqiang (1936ー )
1960年、ショパン・コンクール第4位入賞。名前が知られているわりには、彼の演奏を聞く機会はあまりない。CDでは「黄河」(中国唱片総公司上海公司 CCD-89/063)の中で孔祥東の陰に隠れて、丁善徳の《ピアノ協奏曲 変ロ長調 作品23》を弾いているのがそのわずかな例。文化大革命で迫害され、厳しい労働を課されたことで体を痛めてしまった。《ピアノ協奏曲「黄河」》が流布したことでピアニストとして呼ぼ戻されたが、演奏出来たのは約二年間で、体の痛みが再発したため、コンサート・ピアニストとして舞台に立つことを断念し、ピアノ教育に専念することになったという(専訪李名強教授より。中国語)。上海音楽学院の教員として長く勤めた。多くの国際コンクールで審査員を務めている。
李名強が編曲したピアノ曲に《加快歩伐朝前走》がある。(1978年に上海人民出版社が出版)。
ヘンデル《組曲 HWV428》 ベートーベン《ピアノ協奏曲第5番「皇帝」》
Li Mingqiang, Chopin, Piano Recital_哔哩哔哩 (゜-゜)つロ 干杯~-bilibili ←ショパンの4つのポロネーズ、バラード第1番
顧聖嬰 こせいえい Gu Shengying (1937ー1967)
江蘇省無錫出身。キリスト教徒の家庭で育つ。5歳でピアノを始め、ピアニストの楊嘉仁と李家禄に師事する。1954年にソリストとして上海交響楽団に入団。1957年、世界青年フェスティバルに参加して金賞を受ける。1958年、第14回ジュネーブ国際音楽コンクールで女子ピアノの最優秀賞を受賞。
1950年代と60年代、彼女は新中国からの音楽の使者として、国内だけでなくソ連、スイス、ポーランド、ブルガリア、ハンガリー、ベルギー、フィンランド、香港などでも演奏会を開いた。西洋の古典派・ロマン派を演奏する一方中国の作品も重視した。ロマン的詩情にあふれ、しかも明晰な演奏スタイルであった。しかし、文化大革命で「反革命分子」として厳しい批判を浴び、陵辱に耐えきれず、母親、弟とともにガス自殺をとげた。もしも生きのびていたら、どれほど素晴らしい演奏家になっただろうかと惜しまれる。
2001年、上海音楽出版社から、彼女を追悼する本「中国鋼琴詩人 顧聖嬰」が出た(CD二枚付き)。
CD「中国著名演奏家録音珍版典蔵 珍蔵顧聖嬰」(中国唱片上海公司 HCD-0863)はクイックチャイナから購入可能。
収録曲:幻想ポロネーズ、エチュード Op.10-8、25-7(ショパン)/喜びの島(ドビュッシー)/献呈(シ
ューマン・リスト)/ハンガリー狂詩曲第12番(リスト)/哈薩克舞曲(ハザク舞曲)1,2,3(洗星海)/プレリュード Op,28-2、28-8、28-24、エチュード Op.25-9、25-6、10-10、10-4、ソナタ第3番 1,2,3,4(ショパン)
《献呈》(シューマン・リスト)。顧聖嬰を中心に中国のピアニストたちの若き日の写真が出ています。
劉詩昆 りゅうしこん Liu Shikun(1939ー )
天津で生まれる。モスクワ音楽院を卒業、フェインベルクの指導を受ける。1956年リスト国際ピアノコンクール2位入賞、1958年チャイコフスキー・コンクール2位入賞。しかし、1966年からの文化大革命の中で厳しい批判を浴び、腕をねじられて演奏不能にさせられたあげく6年間の獄中生活を体験させられた。
1972年、毛沢東と周恩来の命令によって救出される。療養して演奏が可能に。
1979年と1991年に来日。彼がピアノを弾く姿は、私にはまるで戦場に向かう兵士を連想させるほどで、圧倒的な迫力があった。ただ半面、モーツァルトでさえ戦闘的な作品になってしまい、少し粗さも感じられた。
Pianist Shikun Liu Toronto Debut 1985 ←彼の演奏スタイルが窺える録画とインタビュー。
1992年、香港において劉詩昆鋼琴芸術中心(劉詩昆ピアノ芸術センター)を開設、これはのちに北京 、天津にも広がった。音楽教室とピアノ販売店を兼ねたものである。
作曲家として、《青年ピアノ協奏曲》(共作)、《戦台風(台風と戦う)》(郭志鴻との共作)、編曲した《白毛女即興曲》などの作品がある。貧しい農民を破滅させる封建制度への激しい憤りを歌った《白毛女即興曲》は20世紀中国を代表する重要な作品であるが、1997年、私が劉詩昆本人に会って尋ねたところ、楽譜はすべて彼の頭の中にあって、書かれたものは存在しないということだった。私はこの作品の楽譜を書いてくれるよう進言したが、今は忙しくてということだった。彼以外、誰も演奏したことがない曲なので、私は、このままではやがて世界から消え去ってしまうかもしれないという危惧を抱いている。(私は最近、採譜music.comに依頼して、採譜した楽譜を入手できた。)
劉詩昆はコンサートでよく演奏するのが《序曲与舞曲(序曲と舞曲)》(黄安倫作曲、劉詩昆編曲)と上記の
《戦台風(台風と戦う)》と《白毛女即興曲》である。《序曲与舞曲》については、黄安倫の原曲の楽譜はあるが、劉詩昆編曲のものは見ていない。《戦台風》の楽譜は「鋼琴曲集 中國現代作品 第一集」(香港の佳聲出版社)、《刘诗昆 郭志鸿钢琴作品集》(上海音楽出版社)に収録され、現在ではネットで公開されている。《卡門(カルメン)》、《櫻花》など彼が編曲したり、作曲した作品の多くは楽譜が存在しない可能性が高い。
《東方之珠》←1997年香港の復帰を祝う同名の歌曲から編曲したもの。ネーミングは筆者。劉詩昆には中国で
流行した歌を編曲した作品が多いようだ。これもピアニストの一つの生き方であろう。
2023年6月19日からのチャイコフスキー国際コンクールの開幕コンサートに出演、《ピアノ協奏曲「黄河》の
第2楽章と《我的祖国》(おそらく彼の編曲になるもの)を演奏した。立っているとき高齢ゆえの手のふるえが見えたが、演奏自体は問題なかったのでひと安心。
〔劉詩昆のCD〕
1.「中国音楽大師経典 劉詩昆」(太平洋影音公司 PCD-6153)
収録曲:ピアノ協奏曲第1番(リスト)/ハンガリー狂詩曲第6番(リスト)/英雄ポロネーズ
(リスト)/黒鍵のエチュード(ショパン)/ソナタ K283(モーツァルト)
/ロンド(カバレフスキー)
2.「中国著名演奏家録音珍版典蔵 珍蔵劉詩昆」 中国唱片上海公司 HCD-0915
収録曲:児童組曲(丁善徳)/花鼓(瞿維)/《白毛女》即興曲(劉詩昆)/ハンガリー狂詩曲第6
番(リスト)/英雄ポロネーズ(ショパン)/黒鍵のエチュード(ショパン)/即興曲 Op.142-2(シュ
ーベルト)/ロンド(カバレフスキー)/プレリュードとフーガ(バッハ)/ハンガリー風格曲(リス
ト)/ペトラルカのソネット 第104番(リスト)/主題と変奏 Op.19-6(チャイコフスキー)/
ピアノ協奏曲第1番(リスト)/ピアノ協奏曲第5番(ベートーベン)/青年ピアノ協奏曲(劉詩昆
他)/ピアノ協奏曲《台風と戦う》(劉詩昆他)/ピアノ協奏曲第1番(チャイコフスキー)
〔劉詩昆の作品の楽譜で入手できたもの(合作を含む)〕
公社社員喜洋洋/迎来春色換人間(京劇《智取威虎山》より)/台風と戦う(楽譜)/
青年ピアノ協奏曲(楽譜)
リスト ピアノ協奏曲第1番 コンドラシン 劉詩昆 チャイコフスキーコンクール - ニコニコ動画 (nicovideo.jp)
劉詩昆編曲。中国の歌劇「白毛女」から抜粋したメロディーをもとに作られたもの。前半部は、ヒロイン
喜児(シーアル)が優美で明るい歌を歌いながら、春節(旧暦の正月)を迎える情景、後半部は、喜児の
父、貧農の楊白労が、極悪な地主によって全財産を奪われた上に喜児を売る証文に判を押させられ、絶望
と屈辱の中で自殺するという悲劇を最強音の連打で表現している。この曲は、人間を人間でなくしてしま
う封建社会への激しい憤りを表現することで、聴く者をして、こんな社会は打ち倒されて新しい時代が来
なければならないというところまで連れて行く。参考動画:「白毛女即興曲」誕生のいきさつ(中国語)
「青年鋼琴協奏曲」 ←香港での劉詩昆の演奏
「青年鋼琴協奏曲」 ←絵入り。この曲が発表された当時の中国の雰囲気がよくわかります。
钢琴大师刘诗昆钢琴教程 1、2、3、4 ←教則映像(中国語)
殷承宗 いんしょうそう Yin Chengzong (1941ー )
(文化大革命中は「殷誠忠」と名乗っていた。)
福建省厦門(アモイ)で生まれる。子どもの頃、教会に通って讃美歌を歌ったことが西洋音楽に親しんだきっかけになったらしい。9歳の時、演奏会を開く。
1962年、チャイコフスキー・コンクール第2位入賞。帰国後、毛沢東主席の前でショパンの《スケルツォ第2番》と共に自作の《秧歌舞曲》を弾いた。1965年、中国音楽学院卒業。
彼は当時あった「中国にピアノは必要ない」という「亡琴論」の風潮に対し、「中国にピアノは必要なのだ」という旗じるしを掲げてたたかった。その成果が1964年、北京郊外の農村にピアノをたずさえ、人民公社の一員となって農民と親しく交流した経験を通して生み出されたピアノ協奏曲?《農村新歌》(殷承宗・储望华の共作。ピアノ:殷承宗)である。皆さんにはぜひ聴いて頂きたい。
1966年に文化大革命が始まると、これまで以上にピアノ音楽が厳しく批判されるようになった。殷承宗はピアノが破壊され、ピアニストが迫害され、自殺者まで出るという危機的な状況の中で、ピアノ音楽を守るために奮闘する。
彼は天安門広場にピアノを運び、革命歌曲を演奏して、大衆の信頼を得た。68年、ピアノ伴唱《紅灯記》を作曲し、演奏。これはどうみても歌曲であるが、当時は「京劇の唱を伴うピアノ曲」と強弁されて、ピアノ音楽の革命化の達成が大々的に報じられた。この時、殷承宗は「輝かしい手本 江青同志に学び 毛主席に忠誠をつくす革命的な芸術戦士になる」という文章を発表している(日本語版「人民中国」1968年10月号)。
【1972钢琴伴唱】红灯记(中央新影重制/样板戏/字幕/殷承宗伴奏)_哔哩哔哩 (゜-゜)つロ 干杯~-bilibili
彼はのちに、《紅灯記》から《雄心壮志冲雲天》(わが思いは天にまで達する)などを編曲して演奏した。
钢琴组曲《红灯记》 ←この中に《雄心壮志冲雲天》が収録されている。注目作。
彼は1970年に発表された、集団創作による《ピアノ協奏曲「黄河」(楽譜つき)作曲の主力であり、今日まで精力的に演奏している。
《黄河钢琴协奏曲》殷承宗1970首演版_哔哩哔哩 (゜-゜)つロ 干杯~-bilibili
この作品は洗星海の《黄河大合唱》をベースに殷承宗、劉庄、儲望華、盛礼洪、石叔誠、許斐星の「集体創作」によ
って作られた。「黄河の船うた」、「黄河を賛える」、「黄河の憤り」、「黄河を守れ」の4曲から成る。ラストが毛
沢東をたたえる「東方紅」と「インターナショナル」を組み合わせたメロディーで結ばれているなどプロパガンダ音楽
的な要素があることは否定出来ない。そのこともあって1976年に文革が終了、文革が否定されるようになると、この曲
が消えたり、ラストを改編した版で演奏されたこともあった。ただ今日の中国では、この曲は歴史的文化遺産として原
曲のまま演奏されるのが普通である。
さらに杜鳴心が作曲したピアノ組曲《紅色娘子軍》(楽譜つき)があり、殷承宗は来日した時もこれを演奏している。紅色娘子軍とは中国共産党傘下の女性だけのゲリラ部隊で1931年に海南島で結成され、革命の一翼を担った。この実話を基に作られたのがピアノ組曲《紅色娘子軍》曲で、ここに紹介したユーチューブ映像に全7曲が楽譜付きで収録されている。殷承宗の演奏と思われる。なお第6曲《常青就義》については殷が演奏する動画があった。これは革命の同志の死を悼む作品で、インターナショナルのメロディーで結ばれている。
百花争艳 ←1時間33分54秒以降に《常青就義》と《翻身的日子》(朱践耳)が入っている。1976年の録画。
《紅灯記》の諸作品、《ピアノ協奏曲「黄河」》、鋼琴組曲《紅色娘子軍》などは、プロレタリア・ピアノ音楽とも言うべきものであって、文学作品にたとえると小林多喜二の「蟹工船」のような力を持っている。
「音楽に政治を持ち込むな」という人もいるだろうが、文革の時期、彼が行ったピアノ音楽の革命化がなければ、ピアノは中国から撲滅されていたにちがいない。私は現代日本において、殷承宗と同じことをする必要はないとしても、ピアノ音楽に農民、労働者、サラリーマンなどなど働く人々のの感情や意思を反映させることが必要だと考えている。
ただ1976年に文革が終わると、殷承宗は文革を推進した勢力に近い立場にいたため、隔離審査を受けた。中村紘子著「アルゼンチンまでもぐりたい」によれば「ピアノも財産も何もかも奪われて、農村に『下放』」、「農村では『再教育』と称しての激しい労働を課せられ、牛馬以下に扱われる日々が何年も続いた」ということである。1982年の夏ごろ許されて北京に戻ってくることが出来、音楽活動を再開する。当時出したカセットテープではリストの《愛の夢》やラフマニノフの《ピアノ協奏曲第2番》などが録音されており、プロレタリア音楽であれ「ブルジョア」的な音楽であれ、何でもありという方向に転換したようである。
殷承宗は1983年、アメリカに亡命したとされる。カーネギーホールでコンサートを開いた。しかし現在は米国を根拠地としながら、中国にもたびたび訪れて演奏・教育活動を行っているので、アメリカに亡命したのではなく、移住したという方が正しいだろう。
中国の外では殷承宗は今も革命的な音楽を追求したピアニストというイメージが強いが、西洋クラシック音楽の演奏においてもその実力は抜きん出ている。彼は全世界の華人社会の中で圧倒的存在感を持つピアニストである。中国の作品にしろ、西洋の作品にしろ、音楽的で考えぬかれた彼の演奏は、きわめて高い評価を得ている。
殷承宗鋼琴独奏音楽会(上) ← 現在は見ることが出来ません。
↖ハイドン《アンダンテとヴァリエーション ヘ短調 Op.83》、ベートーベン《月光》、
《春光花月夜》=夕陽簫鼓、《平湖秋月》、《彩月追月》、シューベルト《楽興の時 第2番》
シューベルト《アンプロンプチュ(即興曲)Op/90 D.899 No.3》、《即興曲 Op142-3》
《ソナタ第21番、D.960》 ↖ 私は殷承宗のシューベルトを推薦します。
ショパン《ファンタジー》、《革命》、ショパン、《アンプロンプチュ 1、2、3、4》、《子守歌》、
《アンダンテスピアナートと華麗なる大ポロネーズ》 リスト《タランテラ》
Mozart Piano Concerto No. 23, Yin Cheng Zong and PolyU Orchestra, - YouTube
〔殷承宗のCD〕
1.「殷承宗鋼琴精品専輯」 中国広播音像出版社 CA-208 CDM-9210 《黄河》その他。1992年
2.「殷承宗鋼琴演奏」 中国唱片上海公司 SCD-185 《黄河》と《紅灯記》。1995年
3.「黄河 梁祝」 雨果製作有限公司 HRP 903-2
《黄河》は1971年時の録音。他にバイオリン協奏曲《梁祝》を収録
4.「中国音楽大師名家経典 殷承宗」 太平洋影音公司 PCD-6154 《黄河》その他。
5.「ピアノ協奏曲『黄河』他」 NAXOS 8.223412、NAXOS8.554499
(収録曲 ピアノ協奏曲「黄河」/彩雲追月/快楽的ロソ/内蒙古民歌主題小曲七首/魚美人/山丹丹開
花紅艶艶/梅花三弄)
もっとも入手しやすく、中国のピアノ曲の入門として最適のCDです。
6.「勃拉姆斯钢琴独奏专辑」 ← ブラームス
7.「CHOPIN Piano Favourites」 NAXOS
8.225938
8.「DEBUSSY Preludes Books 1&2」 NAXOS 8.225946-47HDCD
9.「TCHAIKOVSKY The Seasons」 abcrecord SACD013
10.「中国著名演奏家録音珍版典蔵 珍蔵殷承宗」 中国唱片上海公司 HCD-0869
収録曲:翻身的日子(朱践耳)/快楽的囉嗦(楽しいおしゃべり)(殷承宗編曲)/社員都是向陽花
(サンフラワー)(林尓耀)/洪湖水浪打浪(瞿維改編)/ 送紅傍(孫以強)/秧歌舞曲(殷承宗)
/変奏曲(劉庄)/《魚美人》選曲三首 水草舞・珊瑚舞・婚礼(杜鳴心・呉祖強)/女民兵(李劫
夫)/陜北民歌四首 山丹丹開花紅艶艶・軍民大生産・绣金匾・翻身道情(王建中)/ 雄心壮志冲雲
天(殷承宗改編)/鋼琴組曲《紅色娘子軍》(杜鳴心)/夕陽簫鼓(黎英海・殷承宗改編)/タラン
テラ(リスト)/超絶技巧練習曲第10番(リスト)/即興曲Op.9-3(シューベルト)/熱情ソナタ
(ベートーベン)/ソナタ KV330(モーツァルト)/ピアノ協奏曲《黄河》(殷承宗他)
殷承宗の60~70年代の録音を集めた貴重なCDです。クイックチャイナを通して取り寄せました。
・中国では殷承宗がベートーベンやシューベルトなどを演奏したCDがまだまだ出ています。ユーチューブに
は映像や録音が多数あります。
〔殷承宗の作品の楽譜で入手したもの(合作を含む)〕
・ 殷承宗鋼琴作品選集 人民音楽出版社 2005
(収録曲:秧歌舞/漁歌/快楽的ロソ/俺是公社飼養員/彩雲負月/十面埋伏/
鋼琴組曲《紅灯記》から8曲/農村新歌(2台ピアノ))
・その他の入手した楽譜:越南舞曲/北風吹/黄河(ピアノ協奏曲、2台ピアノ版)
〔殷承宗に関する参考文献〕
・「人民中国」1968.10、1970.8、
1973.11号 ←農村で昼間は農作業にいそしみ、夜は演奏会を開く彼の姿が紹介されている。
・「証言・現代音楽の歩み」 中島健蔵著 講談社文庫 1978
・「江青」上・下 ロクサーヌ・ウィトケ著 中島嶺雄・宇佐美滋訳 パシフィカ発行
↖「殷承宗はえらく上手だけど、リストなんて一般の中国人にはわからないじゃないか」という
江青(毛沢東の妻)の発言があります。
・「アルゼンチンまでもぐりたい」 中村紘子著、文春文庫、1997
・「ピアニストが語る! 作曲家の意図は、すべて楽譜に!」第三巻
(焦元溥著、アルファベータブックス 2016年)
・「周廣仁談殷承宗」、「殷承宗:鋼琴述説歳月」 上記CD8.の解説
写真(左)《ピアノ協奏曲「黄河」》のレコードの表紙。演奏しているのは殷承宗。
写真(右)演奏する劉詩昆。日本での演奏会プログラム(Music Today '79 今日の音楽7 企画・構成 武満徹)より
崔世光 さいせこう Cui Shiguang(1948ー )
《松花江上(松花江のほとり)》 ←1967年。同名の歌から編曲した。歌曲
「松花江上」は1931年9月18日に満州事変を引き起こし、
中国侵略に走る日本への憤怒を歌った作品。「九一八
(jiuyiba)」のリフレインをピアノでも強調しています。
《山東風俗組曲》 ← 1984年。民歌風の作品かと思ったら以外にモダンな感
じです。
《山泉》(楽譜つき)←中国版ドビュッシー?
张朝 チャン・チャオ Zhang Zhao(1964— )
作曲家。彝 (イ) 族。雲南省昆明生まれ。現在、中央民族大学音楽学院教授。民族性と個性
が結合した音楽を追求。交響曲、民族器楽曲、室内楽の作品、ピアノ曲など多くの作品を発
表。2014年、ドイツのSchott社がピアノ曲の楽譜を出版した。
《皮黄》张朝曲(楽譜つき)、1995年、京劇の音楽を素材にした創作曲。
《远方的香格里拉(彼方のシャングリラ)》雲南彝族民歌 / 张朝編曲(楽譜つき)、2007
《康定情歌》四川民歌/张朝編曲(楽譜つき)、2007年
《花儿为什么这样红(花はなぜこんなに赤いの)》タジク族民歌/张朝編曲 (楽譜つき)、
2007年
《我的祖国(わが祖国)》刘炽曲/张朝編曲(楽譜つき)、2009年
李雲迪 ユンディ・リまたはリ・ユンディ Li Yundi(1982ー )
ピアニスト。重慶生まれ。7歳からピアノを始め、9歳から但昭義(ダン・ツァオイ、周広仁の門下)の指導を受け始める。2000年ショパン・コンクールで優勝。2001年春、深圳芸術学院を卒業。
2002年7月発売のCD「トロイメライ~ロマンティック・ピアノ名曲集」(UCCG1111)に収録されている中国の作品《サン・フラワー》は、原名《社員都是向陽花》、1962年に発表された歌曲を編曲したもので、今では廃止された人民公社の社員たちの労働の喜びを歌った美しい作品。日本でも楽譜が出た(KMPから)。
中国の作品だけを集めたCD「レッドピアノ」には、《ピアノ協奏曲「黄河」》など毛沢東時代の作品も入ってはいるが、全体的には政治的色彩はあまり感じられず、かえって張朝 Zhang
Zhao(1964ー )が作曲、編曲した難曲の演奏に舌を巻いた。もはや名人芸で、私のようなアマチュアピアニストの出る幕ではないと妙に納得、また劉詩昆や殷承宗の時とは、時代が変わったのを感じた次第。
2021年10月21日、違法行為で逮捕の報が届く。中国の音楽界からも追放された。
2023年8月、演奏活動再開。
郎朗 ラン・ラン Lang Lang(1982ー )
13歳の時、仙台市で開かれた「若い音楽家のためのチャイコフスキー国際コンクール」で優勝。
人気・実力ともに今をときめくピアニスト。西洋の古典作品を弾いても中国を感じさせるものがある。
CD「ドラゴン・ソング」(ドイツ・グラムフォンUCCG-1330)に《ピアノ協奏曲「黄河》と他の中国の作品を収録している。
ラン・ラン「エリーゼのために」 - Steinway & Sons ← 誰もが知っている曲でもランランの手にかかると!
Lang Lang Franz Liszt - La Campanella 2012 - Bing video
杜鳴心《草帽花舞(麦わら帽子のダンス)》、鄧雨賢《望春風》
世界のピアニスト・ランラン 北京の御用人に (epochtimes.jp) ←[報道]ご参考まで。2011年。私はこれに同意しません。多様性を重んじる、もっと心の広い見方をしてくれればと思っています。この中で言及されている曲です。 我的祖国 我的祖国を含む演奏 翻身的日子(解放された日々)
陈萨 サ・チェンまたはチェン・サ Sa ChenまたはChen Sa(1979ー )
2000年のショパン・コンクールで4位入賞。ユーチューブに動画多数。調査中。
王羽佳 ユジャ・ワンまたはワン・ユジャ
Yuja WangまたはWang Yuja(1987ー )
今や世界を席巻するトップピアニスト。超絶技巧の持ち主で人間業にはとても見えないほど。演奏会に刺激的な服装で出場するのも話題で、目のやり場に困ってしまう。
超絶技巧と服装だけで注目されることが多いがそれだけで良いのか? 演奏そのものは素晴らしいのだが、まるで曲芸のようになっていることが多く、聴衆もそれを期待してしまっている。ユーチューブに動画多数。
賀緑汀《牧童短笛》 陳培勲《旱天雷》 《ピアノ協奏曲「黄河」第4楽章》
Chopin - 24 Preludes, Op.28 (Yuja Wang) - Bing video 「熊蜂の飛行」
ラフマニノフ 《ピアノ協奏曲 第2番》